トップ  >  スポンサー広告  >  スポンサーサイト  >  ポエカフェへの道のり  >  その2 『 詩との出会い 』

スポンサーサイト

--年--月--日

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ポエカフェへの道のり その3 | トップページへ戻る | その1 『 夢の種 ― 種蒔き ― 』

このページのトップに戻る

その2 『 詩との出会い 』

2011年01月02日

ポエカフェへの道のり その2

『 詩との出会い 』


 「どうして詩を書くようになったの?」と聞かれることが時々あります。

 私は幼い時から、思いを口に出すことが上手くできませんでした。厳格な父の影響があると思います。家の中では、いつ自分の言動が父の気に障って激怒されるか分からないと、いつも身を縮めて口をつぐんでいる子供でした。理不尽な怒りにも口をつぐんで、その場で言葉にはならずに、恐怖心に包まれた感情だけが体の中に堆積して、それをひとりになった時にようやく掌にひらいて、感情を言葉にして、紙に書き付けて、自分に伝えていました。
 そんな風だったから、感情は一旦氷結して、それが溶けて言葉になるまでに時間がかかるようになってしまったのだと思います。
 中学生の頃から、思いが言葉になったときに、ノートに書き付けてきました。私にとっては表現する一つの手段が何行かの「詩」らしきものだったのです。

 そんなノートのメモがたくさんあったので、2001年9月に一冊の本『ココロもよう』にまとめました。25歳の時です。今読み返してみると、何だか苦しげな幼い感情のつぶやきが羅列されていて恥ずかしくなります。
 感情を表出できずに隠し持っている私は、相手の表情をうかがいながら自分の居場所を定めていくような不安定な存在でした。あとがきにも書いていますが、「何のために生きているのだろうか」「私の存在価値はなんだろうか」という疑問符を常に抱きながら過ごしていました。
 20代前半は日帰りでふらりと一人旅にもよく出かけています。知らない街をひとりぼっちで歩くことが心地よかった。作品中にも(私は寡黙な旅人になる/自分しかいない/頼れる人は隣にいない)とつぶやいています。強がり屋さん。今でもそんなところがありますね。
 厳格な父には、甘えることのできなかったワタシ。母は、とても大きな海のようで、ワタシ(月)を照らす太陽のような存在でした。ところが1995年の私が大学二年生の時から乳がんの再発、リンパ節への転移が見つかり、闘病生活が始まりました。私の大学生活は家事とバイトと学校との往復で青春はどこへやらでした。そのころの感情は私の身体のどこへ仕舞われたのでしょう。未だに言葉にはなっていないようです。
 社会人になってから、ようやく誰かを好きになってみたりしましたが、「愛情」というものをどう捉えて、どう表現したら良いのか、よく解らなくて。そんな幼稚な感情のつぶやきも零れています。
 私は遅咲きなのだと自分を慰めて・・。それでもいつかは人生の花を咲かせることを夢見ています。『ココロもよう』の扉の詩にこう書きました。桜の木の挿絵と供に・・。

 その時を知って
 今年も開花する
 真新しい風が 街をざわめかせる

 雑踏から抜け出して 小高い丘
 古木の桜を見上げれば
 花が私に問いかけてくる

 「あなたの花は 咲きそうかしら?」


 一冊の本にまとめたことで、もっと「詩」を学んでみたいと思うようになりました。それで詩の教室を探していて見つけたのが、東急セミナーBE「詩を書く・詩を読む ~現代詩の広場~」(講師 監修/詩人 鈴木志郎康、詩人 川口晴美)でした。

 2002年の4月から通い始めて、2010年9月まで受講していました。
 通い始めた当初は、今まで自分が書いてきたものは「詩」なんて呼べるものじゃなかったとショックを受けました。それからどうしたら詩が書けるのか、受講されている方々の詩を読ませていただきながら、少しずつ自分の詩の書き方を見つけていきました。
 元々が自分の感情を確認するために言葉にするという書き方でしたので、受講し始めてからも日々の生活の中で感じたことを、日記を書くように、詩に記してきました。こうして詩を書くことは、私にとって大きな心の支えとなりました。
 また講座を通して、詩を発表して受講生から感想や批評をいただくことで、読み手にも伝わる詩を書くことを学びました。また講師から講評をいただいて、何度も推敲を重ねていくことで、作品として詩を作り上げていくことを学び、それは喜びにもなりました。

 その積み重ねで、二冊の詩集を上梓することができました。

 第一詩集『空に咲く』(2006年 七月堂)
 受講し始めてようやく詩が書けた頃から2006年夏頃までの作品です。その間には、2004年10月に母が他界しました。一番苦しかった頃というのは、やはりどうしてか言葉にはまだできないようです。少し時が経ち、またここから歩き出せる、歩き出そうという頃の詩をいくつか収めています。

 第二詩集『色トリドリの夜』(2009年 七月堂)
 2006年秋頃から2009年春頃までの作品です。その間には、2008年4月に社会人10年が経ち、この先どうやって生きていこうかと考え始めました。ポエトリーカフェを開きたいと真剣に考え始めたのもこの頃です。詩作品の中でも、過去のワタシから変わりたいという思いが芽生えてきています。

 朗読との出会いも、詩との関わり方を深めることになりました。
 本誌「もーあしび」のメンバーで、2007年から毎年、朗読会を開催してきました。詩を声に出して表現する。声で伝えることの楽しさを知りました。
 また、2008年春頃から都内で行われているオープンマイクのイベントにも参加するようになりました。そこでは参加者が独自の言葉とパフォーマンスで声を通して表現している姿があり、新しい詩の味わいを教えてくれました。そしてその場(時間と空間)を、そこにいる人たちが共有しているということは、とても大切な、豊かさのように感じました。

 その様に詩と関わってきて、いつしか自分で詩を書くことよりも、もっと多くの方々に詩をひらいていきたいと想うようになりました。その想いがポエカフェへと繋がっていきます。
スポンサーサイト

ポエカフェへの道のり その3 | トップページへ戻る | その1 『 夢の種 ― 種蒔き ― 』

このページのトップに戻る

コメント

名前
題名
メールアドレス
WEBサイト
 
コメント
パスワード
  管理者にだけ表示を許可する

このページのトップに戻る

トラックバック

このページのトップに戻る

プロフィール

nakaniwanosora

Author:nakaniwanosora
中庭ノ空オーナー のん です。プロフィール詳細
第一期 『Poem & Gallery Cafe 中庭ノ空』を経て。2015年2月より、第二期『曜日替わりカフェ@中庭ノ空』がOPENしました!

◎場所
西武池袋線「江古田駅」南口から徒歩8分、「東長崎駅」南口から徒歩10分(千川通り沿い)
大江戸線「新江古田駅」から徒歩7分 のところにあります。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。